おじちゃんのこと

家の隣は製缶屋さんだった。
1階がホールのように2階の高さくらいまで吹き抜けていて、ピカピカの一斗缶が高く積まれていた。
自分が幼稚園くらいからの記憶なのだが、この製缶屋さんに70歳は過ぎているであろうおじいさんが勤めていた。
自分は「おじちゃん」と呼んでいた。
おじちゃんはこの製缶屋で入口前を掃除したり、ちょっとした事務仕事をしていたようで、
前を通ると、事務机に座っているのが見え、母と挨拶をした。
おじちゃんは小柄な人で、灰色や黄土色のスラックスにワイシャツ、前掛けをして働いており、
帰る時には浅めのハンチングを被っていた。
歩いて15分くらいのところにアパートを借りて、独り暮らしだった。


幼稚園・小学校に行くときや家の前で遊んでいると声をかけてくれ、両親ともに話すようになった。
ある日の夕方、いつものように自分が家の前で遊んでいると、「マートまで一緒に行こう」ということになった。マートというのは、大きな共同住宅の一階にいろんなお店が入っていて商店街のようになっているビルのことで、買い物といえばこのマートでほとんど用が足りた。
ちょうど帰るところだったおじちゃんはこのマートの中のおもちゃ屋さんに連れて行ってくれ、おもちゃを買ってくれた。
その頃の我が家は貧乏のどん底で、子供に新しい服もおもちゃも買えない状況だったらしい。
しかしそんなことわかる歳ではなかった自分は、おもちゃを買ってもらえる嬉しさでほいほいついていったのだ。
もちろん両親は恐縮したが、子供にとっては嬉しさの連続だった。
正月おじちゃんを我が家に招いて食事をしたこともあった。
おじちゃんが住む町会のお祭りに呼んでくれたこともあった。


それから2〜3年経った頃だろうか。もうすでに隣の製缶屋さんは辞めていたのだろうと思うが、
おじちゃんから体調が悪いという連絡が我が家に入ってきた。
母がおじちゃんのアパートまで行くと、おじちゃんは通帳と印鑑など全財産が入ったカバンを母に渡し、病院に連れて行ってくれと言ったという。タクシーで病院に行くと、病院側はおじちゃんと何の繋がりもない母に不信感を持って対応したという。
近くにおじちゃんの親戚が営んでいる食堂があると以前聞いていたので、母が訪ねおじちゃんが入院したことを伝えると、とても素っ気なく冷たくされたという。しかし、その親戚があとから病院に来ると、親族が来たということで病院側の態度が変わったという。



近くの病院に入院したので、父と母と自分は見舞いに行ったり着替えを持って行ったりして看病した。
最初の連絡から一週間も経たない三月のある朝、私が寝ているところへ母がやってきて、自分の顔を上から覗き込み「あのね、おじちゃんね、死んじゃったの」と言った。



夜中に病院から危篤の連絡があり、両親が駆けつけたという。
入院した時点で、もう助からないと親族側には伝えていたようだった。
意識は無く、最後に大きく息を吸い、ゆっくり息をはいてそのまま、とても静かな最後だったらしい。



式は行わず、おじちゃんの親族と我が家だけで荼毘に付した。
お骨はそのまま親族が引き取って帰ったのだろうと思う。



おじちゃんの部屋の片付けをしに両親とアパートに行った。
二階建ての木造アパートで五世帯くらい、ほとんど一人暮らしの老人ばかりだった。
おじちゃんの部屋は二階で、流し台はあるがトイレ共同風呂無しという環境だった。
一階に住むおばあさんがゴミ出しの仕方やらあれこれ指示してくれ、まだ新しいテレビを我が家に持っていっていいと言っていた。
片付けの何日目か、その日の片付けを終え両親が帰ってきた。
間もなく追いかけてきたように銀色の消防服を着た消防士が訪ねてきた。
「あのアパート知ってますか?」
両親は、
「さっきまで部屋の片付けをして、今帰ってきたところですよ」
と答えると、その消防士は
「そのアパート、火事になりました」と言った。
父が「電話してみろ」と言い、すぐさま母はアパートに電話したが「ツーツーツー」という話し中の音。
「話し中ですよ」
と言うと、電話線が燃えると話し中の音になることを知らされた。
血の気が引くとはまさにこのことで、すぐさまアパートに向かった。
消火したとはいえ離れたところでも漂ってくる火事独特の焦げ臭いにおい、狭い路地で布団に水を掛けながら踏みつけている消防士たち、多くの野次馬。
アパートの前に住むおじさんの話だと、一階のおばあさんの部屋のこたつが出火元らしい。
電気コードが原因だろうと。そして、おばあさんは持病の薬を取りにおじさんの静止を振り切ってアパートに入っていき、そのまま帰らぬ人となった。


何日かして、現場に入る許可をもらっておじちゃんの部屋に行ってみた。
二階まであがれるほど焼け残ってはいたが、おじちゃんの部屋の屋根はなく青空が見え、ドロンと溶けたテレビがあった。
何かおじちゃんの物で持ち帰れるものはないかと探すと、未使用のタオルがあった。ブリキの衣装ケースに入っており無事だったが、煙のにおいが染み付いていた。


故郷にお墓が建ったとのことで、両親とお墓参りに行った。
最寄り駅を降りて、タクシーでどれくらいかかったか。乗り物酔いがひどい自分は途中休憩を挟みながら、なんとかたどり着いた。
実のお兄さんが住む本家があり、挨拶に伺うとなるほど兄弟、おじちゃんそっくりだった。
本家自体が林の中に建っていて、一族のお墓も近くの林の中だった。
足下は整備されておらず、点々と古い墓標が建つ中、一際目立つ真新しい墓標があった。


入院しているとき、着替えを手伝った母はおじちゃんの背中や腕に入れ墨が入っているのを見ている。
製缶屋で働いているとき、真夏でも鯉口を着ていたのはそれを隠すためだったのだろう。
晩年に下男のような仕事、決していい給料だったわけではないだろう。
自分の家族がいたかもよくわからない、身の上話はしなかった。
これまで、どんな仕事をしてどう生きてきたのか想像を絶する。


火事の煙のにおいが染み付いたタオルはぼろぼろになるまで使った。
アパートがあった辺りや新幹線でおじちゃんの故郷を通ると思い出す。






今年観た映画

「夏の庭 The Friends」相米慎二監督
「シングルス」キャメロン・クロウ監督
カンバセーション…盗聴…フランシス・フォード・コッポラ監督
ペーパー・ムーンピーター・ボグダノヴィッチ監督
「居酒屋兆治」降旗康男監督
河内山宗俊山中貞雄監督
少林寺」ヂャン・シンイェン監督
ラブ&マーシー 終わらないメロディービル・ポーラッド監督
父親たちの星条旗クリント・イーストウッド監督
「母と暮らせば」山田洋次監督
スポットライト 世紀のスクープ」トム・マッカーシー監督
「シング・ストリート」ジョン・カーニー監督
「レヴェナント: 蘇えりし者」アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督
10 クローバーフィールド・レーン」ダン・トラクテンバーグ監督
ディーパンの闘いジャック・オーディアール監督


今年読んだ本
「折り返し点―1997~2008」宮崎駿
「アニメーションの色職人」柴口育子
「エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ」舘野仁美