顔をコピーすると目をつむっても眩しい

万年劣等生を再び。
『学校』に通っている。
「このカリキュラムをこなせば、これが出来るようになる」
てのが、出来ない。
ついていけない。


小学校の時、担任から落ちこぼれと言われていたが、
「それも分かってなかったの?」
「まだそれやってるの?」
「緊張するのは みんな一緒」
言われる事は大人になった今も同じだ。
人によって理解度も難しさも緊張度も違うのに。


好きでもない事に金払って時間かけて通って、
どうしてこんな思いしなくちゃならないのか、
自ら通う事にしたから当たりどころがなく本当に嫌である。
自分で自分に癇癪を起こしている


何度もやめようと思ったが、悔しいから通い続けている。
悔しいからもう少しやってみる。

尋ね人 来ず

すっかり道を尋ねられなくなった。
旅先で尋ねられることもあったのに。
スマホで地図をみることが当たり前になったことも大きいが、
険のある表情をしているのだと思う。


今住んでいる町には斎場があり、喪服の方と遭遇することがよくある。
駅に簡単な案内はあるが(不親切至極)、とてもわかりづらいところにある。
喪服でメモを片手に戸惑っている人がいると、
イヤホンを取って、聞いて聞いてオーラを出してみるがダメである。


身内に不幸があった時は、喪に服し、おめでたいことも自粛する、
こういうものだと思っていた。
しかし、ある友人が「敢えてする」ことで、悪い気を払うこともあるらしいよ、
と言った。
なるほどね、と思いながらも8年前は自分に払う機会は訪れなかった。

冬から春に変わった生温い風の香り、満開の桜、花冷えのする長雨。
春は本当に滅入る。
しかし、今年の春は違う。
あの友人が言っていたことを思い出した。
悪い気を払うこととは、
敢えてすることで関心が別のことへ向き、
残された人の気持ちが和らぐことではないかと。





最近読んだ本
イモータル」萩 耿介


最近観た映画
ヘドウィグ・アンド・アングリーインチジョン・キャメロン・ミッチェル監督
十三人の刺客工藤栄一監督
十三人の刺客三池崇史監督

ミナトで待ってる

小学校高学年の時、同じクラスだった彼は小柄で色黒で可愛らしい子だった。
みんなに優しい子だった。
特に約束はしなくても、校庭開放で会って遊んだ。
ゲームセンターの格闘ゲームが上手だった。
駄菓子の変わった食べ方、イタズラ電話、吉田戦車の漫画。
彼を含め、ちょっと個性的な面々で集まって遊ぶのが楽しかった。
彼が妹の面倒を見なくてはいけない日は遊べなかった。


彼は勉強が苦手だった。
忘れ物も多かった。
強烈な暴力教師に怒られてばかりで、涙で顔をぐちゃぐちゃにしていた。
小柄なこともあるからか、運動もそんなに上手ではなかった。
しかし、体育のマット運動の時、彼だけが出来た伸膝前転。
それはそれは見事。一気に注目が集まった。
そうなのだ、彼は運動神経が悪いわけではない。
実は頭の回転もいいし、マット運動や鉄棒はとても上手だったのだ。


同じ中学に進んだが、以前のように遊ぶことは無くなった。
3年の時は同じクラスだったが、進路はわからなかった。
最近聞いた話だが、高校ではなく専門学校に進んだらしい。
ある学校に面談に行ったとき、自分の学校名が漢字で書けなかったという。


彼の実家があった辺りを通ると、
見事な伸膝前転を思い出す。





最近観た映画
エル ELLEポール・バーホーベン監督

TOKYO ナイトクルージング

前々から行きたい行こうとは思っていたが、
自分に億劫になっていてなかなか動かなかった。
だがしかし、色んな神社仏閣の年越しを見るのはいいものだ。
今年は動けそうだったので行ってみることに。


土地勘の無い都会のど真ん中。
散歩がてら、溜池山王から歩く。
年越しを迎える直前で、街も人も浮かれている。
だんだん人の数が少なくなってきたと思った頃、ついに到着。
木造の大きな観音様がいらっしゃるとのこと。
西麻布にある長谷寺


除夜の鐘と新年祈祷で大晦日22時半開門。
開門を静かに待つ老紳士ひとり。扉の前で直立不動。
開門直前、そこに小学校高学年くらいのひとりの少年も加わる。
開門。
手を合わせ一礼、紳士と少年は境内へ。
信心深き姿を見るのは、こちらにも清冽な風が吹きぬけるよう。
自分もその後へ続く。
頭上を高速が通る大きな道からちょっと逸れたこの場所に、
広く抜けた空と闇があった。
腰の高さほどの灯が点々とあるのみ、だんだん目が慣れてくる。
正面に本堂、右手に観音堂、左手に墓地と鐘楼。
本堂にお参りを終え、観音様とついにご対面。
木造で東京最大と言われる観音様。
台座も合わせたら10mは超えそう。
前のめりなのでその迫力もさることながら、
クスノキの一本彫りというから、これまた圧巻である。


先ほどの紳士と少年。
何か言葉を交わしながら並んで境内を歩いていた。





最近読んだ本
「さぶ」山本周五郎
青べか物語山本周五郎
「一命」滝口康彦
「出発点―1979~1996」宮崎駿


最近観た映画
ハクソー・リッジメル・ギブソン監督
「ムーンライト」バリー・ジェンキンス監督
異人たちとの夏大林宣彦監督
メアリと魔女の花米林宏昌監督
「野いちご」イングマール・ベルイマン監督
俺たちに明日はないアーサー・ペン監督
「ヤング・ゼネレーション」ピーター・イェーツ監督
酔いどれ天使黒澤明監督
素晴らしき日曜日」黒澤明監督


最近観直した映画
ジョーズスティーヴン・スピルバーグ監督
「黒い雨」今村昌平監督


最近観た舞台
11月歌舞伎座 夜の部
仮名手本忠臣蔵 五段目・六段目
・恋飛脚大和往来 新口村
・元禄忠臣蔵 大石最後の一日

アゲハ

父のところに行くと、必ずといっていいほどアゲハチョウが飛んでいる。
園内にはそれまで何もいなかったのに、
掃除をしているとどこからともなくアゲハチョウが飛んでくる。
アゲハチョウがさなぎから蝶になる季節がいつ頃なのかは知らない。
さすがに冬はいないけども、ここに飛んでくるのもたいした確率だと思う。
アゲハチョウが飛んでくると、『近くに居てくれてるなぁ』と感じる。

アゲハチョウは通勤路にも現れる。見守るように飛んでいる。
『今日は守ってくれるのだろう』という思いに至る。
地元町会の神輿渡御を見に行った時も、飛んでいた。
ある朝は地面に映る蝶の影を見つけ、すぐに上を見上げたがもういなかった。


毎朝、写真に挨拶をして家を出る。
笑って見える時もあれば、不満げな顔に見える時もある。
今日は「まったく何やってるの」という顔をしていた。
その通りです。




最近観た映画

「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」(1956) ドン・シーゲル監督
「巴里のアメリカ人」ヴィンセント・ミネリ監督



最近読んだ本

赤ひげ診療譚山本周五郎
「神楽坂ホン書き旅館」黒川 鍾信

おじちゃんのこと

家の隣は製缶屋さんだった。
1階がホールのように2階の高さくらいまで吹き抜けていて、ピカピカの一斗缶が高く積まれていた。
自分が幼稚園くらいからの記憶なのだが、この製缶屋さんに70歳は過ぎているであろうおじいさんが勤めていた。
自分は「おじちゃん」と呼んでいた。
おじちゃんはこの製缶屋で入口前を掃除したり、ちょっとした事務仕事をしていたようで、
前を通ると、事務机に座っているのが見え、母と挨拶をした。
おじちゃんは小柄な人で、灰色や黄土色のスラックスにワイシャツ、前掛けをして働いており、
帰る時には浅めのハンチングを被っていた。
歩いて15分くらいのところにアパートを借りて、独り暮らしだった。


幼稚園・小学校に行くときや家の前で遊んでいると声をかけてくれ、両親ともに話すようになった。
ある日の夕方、いつものように自分が家の前で遊んでいると、「マートまで一緒に行こう」ということになった。マートというのは、大きな共同住宅の一階にいろんなお店が入っていて商店街のようになっているビルのことで、買い物といえばこのマートでほとんど用が足りた。
ちょうど帰るところだったおじちゃんはこのマートの中のおもちゃ屋さんに連れて行ってくれ、おもちゃを買ってくれた。
その頃の我が家は貧乏のどん底で、子供に新しい服もおもちゃも買えない状況だったらしい。
しかしそんなことわかる歳ではなかった自分は、おもちゃを買ってもらえる嬉しさでほいほいついていったのだ。
もちろん両親は恐縮したが、子供にとっては嬉しさの連続だった。
正月おじちゃんを我が家に招いて食事をしたこともあった。
おじちゃんが住む町会のお祭りに呼んでくれたこともあった。


それから2〜3年経った頃だろうか。もうすでに隣の製缶屋さんは辞めていたのだろうと思うが、
おじちゃんから体調が悪いという連絡が我が家に入ってきた。
母がおじちゃんのアパートまで行くと、おじちゃんは通帳と印鑑など全財産が入ったカバンを母に渡し、病院に連れて行ってくれと言ったという。タクシーで病院に行くと、病院側はおじちゃんと何の繋がりもない母に不信感を持って対応したという。
近くにおじちゃんの親戚が営んでいる食堂があると以前聞いていたので、母が訪ねおじちゃんが入院したことを伝えると、とても素っ気なく冷たくされたという。しかし、その親戚があとから病院に来ると、親族が来たということで病院側の態度が変わったという。



近くの病院に入院したので、父と母と自分は見舞いに行ったり着替えを持って行ったりして看病した。
最初の連絡から一週間も経たない三月のある朝、私が寝ているところへ母がやってきて、自分の顔を上から覗き込み「あのね、おじちゃんね、死んじゃったの」と言った。



夜中に病院から危篤の連絡があり、両親が駆けつけたという。
入院した時点で、もう助からないと親族側には伝えていたようだった。
意識は無く、最後に大きく息を吸い、ゆっくり息をはいてそのまま、とても静かな最後だったらしい。



式は行わず、おじちゃんの親族と我が家だけで荼毘に付した。
お骨はそのまま親族が引き取って帰ったのだろうと思う。



おじちゃんの部屋の片付けをしに両親とアパートに行った。
二階建ての木造アパートで五世帯くらい、ほとんど一人暮らしの老人ばかりだった。
おじちゃんの部屋は二階で、流し台はあるがトイレ共同風呂無しという環境だった。
一階に住むおばあさんがゴミ出しの仕方やらあれこれ指示してくれ、まだ新しいテレビを我が家に持っていっていいと言っていた。
片付けの何日目か、その日の片付けを終え両親が帰ってきた。
間もなく追いかけてきたように銀色の消防服を着た消防士が訪ねてきた。
「あのアパート知ってますか?」
両親は、
「さっきまで部屋の片付けをして、今帰ってきたところですよ」
と答えると、その消防士は
「そのアパート、火事になりました」と言った。
父が「電話してみろ」と言い、すぐさま母はアパートに電話したが「ツーツーツー」という話し中の音。
「話し中ですよ」
と言うと、電話線が燃えると話し中の音になることを知らされた。
血の気が引くとはまさにこのことで、すぐさまアパートに向かった。
消火したとはいえ離れたところでも漂ってくる火事独特の焦げ臭いにおい、狭い路地で布団に水を掛けながら踏みつけている消防士たち、多くの野次馬。
アパートの前に住むおじさんの話だと、一階のおばあさんの部屋のこたつが出火元らしい。
電気コードが原因だろうと。そして、おばあさんは持病の薬を取りにおじさんの静止を振り切ってアパートに入っていき、そのまま帰らぬ人となった。


何日かして、現場に入る許可をもらっておじちゃんの部屋に行ってみた。
二階まであがれるほど焼け残ってはいたが、おじちゃんの部屋の屋根はなく青空が見え、ドロンと溶けたテレビがあった。
何かおじちゃんの物で持ち帰れるものはないかと探すと、未使用のタオルがあった。ブリキの衣装ケースに入っており無事だったが、煙のにおいが染み付いていた。


故郷にお墓が建ったとのことで、両親とお墓参りに行った。
最寄り駅を降りて、タクシーでどれくらいかかったか。乗り物酔いがひどい自分は途中休憩を挟みながら、なんとかたどり着いた。
実のお兄さんが住む本家があり、挨拶に伺うとなるほど兄弟、おじちゃんそっくりだった。
本家自体が林の中に建っていて、一族のお墓も近くの林の中だった。
足下は整備されておらず、点々と古い墓標が建つ中、一際目立つ真新しい墓標があった。


入院しているとき、着替えを手伝った母はおじちゃんの背中や腕に入れ墨が入っているのを見ている。
製缶屋で働いているとき、真夏でも鯉口を着ていたのはそれを隠すためだったのだろう。
晩年に下男のような仕事、決していい給料だったわけではないだろう。
自分の家族がいたかもよくわからない、身の上話はしなかった。
これまで、どんな仕事をしてどう生きてきたのか想像を絶する。


火事の煙のにおいが染み付いたタオルはぼろぼろになるまで使った。
アパートがあった辺りや新幹線でおじちゃんの故郷を通ると思い出す。






今年観た映画

「夏の庭 The Friends」相米慎二監督
「シングルス」キャメロン・クロウ監督
カンバセーション…盗聴…フランシス・フォード・コッポラ監督
ペーパー・ムーンピーター・ボグダノヴィッチ監督
「居酒屋兆治」降旗康男監督
河内山宗俊山中貞雄監督
少林寺」ヂャン・シンイェン監督
ラブ&マーシー 終わらないメロディービル・ポーラッド監督
父親たちの星条旗クリント・イーストウッド監督
「母と暮らせば」山田洋次監督
スポットライト 世紀のスクープ」トム・マッカーシー監督
「シング・ストリート」ジョン・カーニー監督
「レヴェナント: 蘇えりし者」アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督
10 クローバーフィールド・レーン」ダン・トラクテンバーグ監督
ディーパンの闘いジャック・オーディアール監督


今年読んだ本
「折り返し点―1997~2008」宮崎駿
「アニメーションの色職人」柴口育子
「エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ」舘野仁美

この体たらく

電車で行くよりもバスの方がよっぽど早いと思って、巡回バスを選んだ。
座っていないと車酔いしてしまうため、窓際の席に座る。
運転席の真後ろの席に小学校4年生くらいの女の子が座った。
発車時刻まではまだ間があり、乗客は静かに待っていた。
すると、開きっぱなしのドアから一匹の蛾が入ってきた。
女の子は蛾に気付くと恐怖の表情でこちらへ近づいてきやしないかと、
蛾をずっと目で追っている。
自分も虫は大の苦手で内心ハラハラしていたが、
女の子の表情を見れば、今どのあたりに蛾がいるかがよくわかった。
蛾は外へ出て行くことなく、発車時刻になりドアが閉まった。
車内をあちこち飛び回る蛾も一緒にバスはとろとろ動きだした。
週末の夕方で、道は大渋滞。なかなか進まない。
停留所にもしょっちゅう停まる。
蛾は出て行かない。
女の子の怯えた表情。
はやく着いて欲しい・・・
と、ある女性が乗り込んできた。
その女性がバス後方に歩き始めたところで、
あの女の子が女性の肩をたたき、「どうぞ」と席を譲った。
自分からは見えなかったのだが、その女性は妊婦タグを付けていたようで、
女の子はすぐさま行動に出たのだ。
席を譲った女の子は、運転席横の手すりにつかまり立っていた。
しばらく走ると、女の子が降りる停車場に着いた。
女の子は運転手さんに「ありがとうございました!」とはっきりとした澄んだ声で礼を言い、
振り返ってバスを降りるときに、席を譲った女性に「どうもありがとうね」と言われていた。


蛾も追い払えず、席を譲る行動にも出ず、終始座りっぱなしの自分。
待ち合わせにも遅れて。なんたることか。